「活動のはじまりは、息子の感染からでした。」
田中さんは目を潤ませながら絞り出すように話し始めました。
最初は本当に風邪のような症状だったようで、様子がおかしいと気付いた頃にはもう菌の進行がだいぶ進んでいる状況でした。細菌性髄膜炎の恐ろしいところは、異変に気付きにくいにも関わらず“発症から24時間が勝負”と言われるほど進行が早いことです。息子さんは命は助かったものの、細菌性髄膜炎によって引き起こされると言われているほぼ全ての後遺症を背負うこととなりました。
「母親として、知らないでいたことが情けない…」
田中さんは何度も悔やんだろう言葉を口にしました。そして色々調べていく内に、細菌性髄膜炎を予防するワクチンがあることを知ります。しかし当時、そのワクチンを接種することが日本で承認さえされていなかったのです。田中さんは怒りにも似た感情を抱いたと言います。「なぜ…」「どうして…」「もしもワクチンを受けられていれば…」。そんな言葉が悶々と頭を巡りました。
こどもたちを守る方法があることを知った田中さんでしたが、今から導入しても息子さんが感染する前に戻るわけではありません。また、ワクチンを日本に導入だなんて当然やったこともありませんでしたが、さんざん悩んだ末に「もうこんな思いをする親子をなくしたい」と険しい道を選びます。それは2006年春のことでした。こうして細菌性髄膜炎から子どもたちを守る会を設立し、細菌性髄膜炎のワクチン接種承認とその定期接種化を目標に定めます。